一番の友達は犬のペス。
昭和30年代のラジオドラマ「ペスよ尾を振れ」のペスから頂いた名前である。
黒くて光沢のある柔らかい皮毛、可愛く前に垂れた耳、真っ直ぐに見つめる瞳。
どれもみな懐かしく思い出すことができる。
学校から帰ると、真っ直ぐにペスの所へ飛んで行く
ペスは活発で遊び好き、私たちの行くところへは何処にでもついて歩いた。 家にいる時、夜などは犬小屋に繋いでおくが、散歩をさせる時に紐でつなぐ事は少なく、 いつでも自由に遊び歩いた。 泳ぐペス 家族揃って船で出かけた。 湖の対岸に寄り木を拾いに行ったのか、それとも遊びに行ったのかは覚えていない。 ただ、それを見たペスが後を追って水に飛び込んだのは忘れられない。 船は沖へと進んでいく、ペスは諦めることなく追いかけて来る。 「父っちゃ。ペスが、ペスが、来てる。止まって、船を止めて、ペスが溺れる! 」 ほとんど泣きそうになって、父に訴えた。 家族に置いて行かれると思ったのか、必死で後を追いかけてきたペス。 どこまでも諦めないペスに、父の方が根負けしたのか、船をとめてペスを乗せてくれた。 ずぶ濡れのペスは、嬉しそうに身体中を振るわせ、飛びついてきた。 まだ帆掛け舟の頃だったのかもしれない。 父にしてみれば帆が風を受けて上手く進み出した時に、船を止めるのはためらわれたのだろう。 まだ小さかった私だが、船に向かって泳いでいるペスを見て、 胸がつぶれそうに切なかった事だけは昨日のように覚えてている。 駐在さん ある時、道を歩いていると自転車に乗った駐在さんと出会った。 もちろん私はニコッと笑って「こんにちは」と挨拶したのだが、 ペスの目には駐在さんがどう映ったのか、大きな声でワンワン吠えたてた。 しかも鎖で繋いでいなかったので、駐在さんめがけてボンボン跳ねながら吠える。 駐在さんは大きな声で 「こらぁ!どごの犬だぁ!」 私は固まった。声が出ない。つい首を横に振って「シラナイ・・・」と答えた。 「シラナイ」と言いながら、ペスと一緒に走って・・・逃げたのかなあ・・・ ペスは友達 家の周りの三方は原っぱで一方は湖。遊ぶところは沢山あった。 原っぱと村落の間には僅かだが畑があって、 母が馴れない鍬をふるいながら色々な野菜を作っていたのだが、 その畑も良い遊び場で、姉や友達、みなで走り回っていた。 姉達と走り回りながら、一番のチビだった私は何をしても皆から遅れがちになる。 小さくてもすばしっこいのではなく、小さくて、どんくさい子供だった。 ある時、追いかけても追いかけても皆に追いつけず、 とうとう畑の畔に立ち止まったまま動けなくなった。 そうしてふと足元を見ると、蟻が群がって上って来るのが見えたのである。 蟻を払いのけて逃げ出せば良いものを、結局そのまま動けなくてワーワー泣きだした。 小さいけれど群れを成して上って来る蟻が恐かった。 誰かに助けてほしくて、ワーワーと大声で泣いていたのかもしれない。 その時に側から離れず、シッポをブンブン振りながら一緒に居てくれたのがペスであった。 大きな声で泣いているのが珍しいのか、シッポを振って飛んだり跳ねたり、 しばらくして姉が駆けつけてくれたその時まで、ずっとペスが傍らに居てくれた。 やっぱりペスは一番の友達である。 棒と針金 遊びに行ったペスが戻って来ない。 2〜3日帰らなくて、ひょっこり戻って来る事が数回あった。 そういう時はお腹を空かせていて、洗面器のようなペス専用の器で御飯をたらふく食べさせた。 2〜3日が4〜5日になると心配でドキドキして来る。 ある晩、ガタガタ音がするので外に出てみると、数日ぶりでペスが帰っていた。 首に針金を巻かれ、その先には結構長い角材が付いていて、どこか怪我をしているようだった。 誰かに捕まえられて、それでも必死に逃げてきたのだろう。 「ひどい事をされたものだ。よくここまで逃げてきたなあ」 と、父がペスの頭をなでた。 「アカ」から「ペス」そして「チロ」 その昔、家には「アカ」という名前の大きな犬がいた。 父が可愛がっていて、よくなついた利口な犬だったそうである。 色は明るい茶色だったのかもしれない。 猫の場合茶色の毛色でトラ縞の薄いものは「赤い猫」と呼ばれる。 たぶんそういう意味合いで茶色の犬に「アカ」と名前をつけたのだろう。 私の記憶には全く登場しない、もしかしたら生まれる前か、赤ん坊の頃の事だったのだと思う。 「アカ」の次が黒い犬の「ペス」そして、白い犬の「チロ」の登場になる。 |