かっちゃ   お帰りなさ〜い♪












残されていた父のメモ


説明

11月中旬 長患いの妻を 病院に訪れた時 病院の窓からうつす。
昨夜降った雪が根雪になるのか 午後になっても消えず、
干し大根の上に積もっていた。

初冬の感が強く 窓からぼんやり眺めていた妻が 「もう冬ね」と つぶやいた。
其の時 感傷的にシャッターを切ったもの。







待ち望んだ、 かっちゃ(母)の退院






母の退院祝いに、それぞれに扮装を凝らして踊って見せる。
嬉しくて飛び跳ねたいけど、懸命に練習したのを見せたくて、みんなまじめ顔。








大好きな かっちゃ、お帰りなさ〜い♪







叔母ちゃんがやってきた♪

穏やかな母の笑顔と、嬉しくて楽しくてという感じの母の姉
大病をしたあとの母を気遣って、時々遊びに来てくれていたようだ。

大きくて、朗らかで、そんな叔母ちゃんが大好き。








母を囲んで






シジミ採りの合間の一休み

母親の存在は大きい。砂の上にゴロンと寝ころがっても
母に寄り掛かっていれば安心できる。

なんの不安もない穏やかなひととき。




   病院の記憶

母が開腹手術を受ける為に、町の病院に入院したのは私が二才の時だという。
お前は小さかったから何も覚えていないだろう、と、よく言われたものだが、しかし、断片的に記憶に残っている事がある。
病室の白いカーテン、白い壁、長い廊下、銀色の治療器具、大きなスリッパ、笑っている看護婦さん。
そしてベッドの上で横になっている母である。

母に会うのが嬉しいけど、なにか気恥ずかしかった。
大きなスリッパを足につっかけ、バッタン、バッタンと音を出しながら歩いて誰かに注意された。
もしかしたら母だったのかもしれない、なにか声をかけて貰いたくて悪さをしたのかもしれない。
次には、もそもそと母の布団に潜り込んだ。
ベッドの上の母に甘えたくて我慢ができなくなったのだろう。

其の時には誰も叱る人はいなかった。母が抱きしめてくれたかどうかは覚えていないが、笑い顔は記憶に残っている。母だけではなく看護婦さんにも家族にも笑われた。
おもしろいのではない、幼子が母を求めている姿に、どうする事もできなくて、ただ笑うしかなかったのだろう。

季節までは覚えていない。病院の白に囲まれた明るい色が夏を連想させるが、残っている写真は秋のものだ。父のメモに「長患い」とあるので、もしかしたら退院したのが秋で入院したのは夏だったのかもしれない。

手術直後の血の気の無い母を見て、父は母が死んだと思ったそうだ。
3人の子供を残して逝ってしまい、自分はこれからどうしたら良いかと思ったそうである。
それでも母は戻ってきた。長くはかかったけれど家に帰ってきてくれた。

三人で相談し、帰ってくる母に喜んで貰いたくて、いろんなものを頭に乗っけたり、着たり、手に持ったり。「わたちはお姫しゃまがいいの」と、言ったかどうかは忘れたが、末っ子の私が頭につけて貰ったのはベール代わりの風呂敷。二人の姉はそれぞれに父の帽子や手拭いを使っている。

笑顔の母と私達、シャッターを切る父もカメラの向こう側で笑っているのだろう。
昭和30年代初期のことである。








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