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わら布団 | ![]() |
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左・・・わら布団を作る母 下・・・夜になって布団にもぐり込み、 漫画でも見ている様子 一つ布団に姉妹が頭を並べて寝ていた。 |
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わら布団
幼い頃の記憶なのではっきりしないが、母が作っているのは「わら布団」
田んぼを作っていないので、貰ってきた藁なのか、
また、その中に干し草やゴモ等が混ぜられているのかも定かではない。
出来立ての「わら布団」は厚くて、お日様の匂いがしていた。
長い事、「アルプスの少女ハイジ」の屋根裏の藁のベッドに憧れていたが、
実際は浜辺の家で「わら布団」を経験済み。
少し大きくなった頃の記憶は、冬に向かって、綿を広げながら布団をこしらえている母の姿。
広げた綿を何重にも重ねて畳み、全体が出来上がったら真綿を大きく広げて綿を包む見込む。
小さな真綿が、どこまでも大きく広がるのが、とても不思議だった覚えがある。
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ゴモを干す母の側で
この写真は浜の草原で「ゴモ」を干しているところ。
ゴモというのは、浜に打ち上げられて黒く変色した細長いアマモの束で、
フワフワした感触のもの。たぶん冬の間に根株から離れて浜に打ち上げられるのだと思う。
干し上がったゴモがその後、家でどういうふうに使われたのか記憶にないが、
現在の「つがる市」の商店などでは、昭和30年代に、十三湖産のゴモを売っていたそうだ。
その用途は、畳の代りに床に敷き詰め、その上にござを敷いて、断熱材の代わりとしたり、
あるいは布団に入れる為に買っていく人もあったという話である。
家でゴモを何かに利用した記憶は無いのだが、もしかしたら藁布団の中に入っていたのかもしれない。
浜で干し上がっていくゴモは、潮と日向の混じったような匂いがしていた。
働いている母の後ろで、干し上がったゴモ(乾燥アマモ)を投げ合って遊んでいるのは、姉と私であり、
それを写している父がいて、のんびりとした、面白い写真だと思う。
寄り木を拾う母 荒れた天気の次の日は、浜に沢山のものが打ち寄せられ、 その中から薪に使えそうなものを拾い集めていく。 冬の薪代わりにはならないが 夏の間の風呂の焚きつけにはできたようである。 こうして家の前に打ち上げられた寄り木の他に、 年に数回、船で流木を集めに行く事があった。 その場所は隣村の浜辺だが、湖の形の関係で 大きな流木が打ち上げられていたのだろう。 そういう場所での作業は力持ちの父が中心となる。 拾い集める仕事だけではなく、昼には休憩して砂浜で遊んだり、 そういう時、母のお握りの美味さは格別だった。 |
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幼い頃の記憶をたどりながら写真の説明を書き記しているが、中には思い出せない事もあり、
父や母が生存中にもっと沢山の事を聞いておけば良かったと、今更ながら残念に思う。
しかし写真は有り難いもので、じっと見つめていると、ふと蘇える記憶もあって、
その記憶の糸をたどりながら少しずつ、このホームページの中で発表していきたいと考えている。
写真を残してくれた父も、その被写体となった母も、きっと喜んでいてくれると信じて・・・。