カシスと房スグリのジャム、果実酒。特製ドレッシングなど(2012年8月)
5個の柚子 皮も種も楽しみがいっぱい (2012年1月18日)
鮭ハラスの燻製、アンチョビソース和え(2011年11月)
干し柿とヨーグルトの組み合わせ(2010年12月)
シモコシ(キンダケ)を使った「鮭のねりこみ」と「しおから」
津軽の秋の味 サモダシ(ナラタケ)の「しおから」
「豆漬け」津軽の秋の味 ゴーヤーの酢の物
「けの汁」 津軽の冬の食卓 津軽の御飯の漬け物 2種
マーマレード & ジャム
日向夏のママレード 2013
庭の恵みのジャム2012 日向夏のママレード 2012
甘夏のママレードは春の贈り物(2012年 ブログへジャンプ)
庭の恵みのジャム2011 日向夏のマーマレード2011
庭の恵みのジャム2010 日向夏のマーマレード2010
完熟柚子のマーマレード(2009年ブログへジャンプ)
庭の恵みのジャム2009 日向夏のマーマレード2009
庭の恵みのジャム2008 日向夏のマーマレード2008
庭の恵みのジャム2007 日向夏のマーマレード2007
ぼんぼん人形 Gallery琴彰
伝統のものも新しい手芸も、思い出がたっぷり入ったセーターも、
それが手作りのものだと尚更うれしい。
何が飛び出すか分からない手作りの部屋
以前作った、こぎん刺し。姉達が作る様々な手芸品。
庭の木の実で作るジャムや、夫の木工品
それが簡単なものであっても、手作りのうれしさがある。
最初の手作りは、母の手編みのセーター
昭和40年のものだから、今から42年前に作られたものである。
父の仕事の関係で、小学校の頃、一年間だけ隣村で過ごした。
それは母にとって滅多にない穏やかな、一年だったのかもしれない。
その時に編んでくれた、赤いセーター。
お気に入りで何時も着ていたのだろう、袖口や肘の辺りは薄くなっているし、黒ずみもある。
長い事忘れていたセーターを母が大事にしまっておいてくれた。
母にとっても思い出深いものだったとおもう。
編んで貰ったセーターを着て学校へ行った時の事はよく覚えている。
細い毛糸できれいに編まれているセーターを見て同級生がいった一言は
「これは手編みじゃないよ、機械でしょ、だってきれい過ぎるもの」であった。
襟の辺りは手編みだけど、その他は機械編みに見えたらしい。
その一言がチクリと刺さったが、しかし、そう言われるくらい
母の編んだセーターは目が細かくきれいだった・・・と、思う事にした。
母は毎日、何時間もの時間をかけてセーターを編んでいたのだ。
細い4本針で丸く編み上げていく、少しずつ形が出来ていくのがうれしかった。
母が浜の仕事から開放された一年。
作り始めた僅かな田んぼの管理に、父と一緒に出かける事はあったが、
それ以外は穏やかな時間だったのだろう。
セーターを編んでいる母を見るのは楽しかった。
翌年から背が伸び出して、ちいさなセーターはあっと言う間に着られなくなってしまったが
母が大切にしまっていたお蔭で、今またこうして見て貰う事が出来る。
赤いセーターの上に並べた手芸品は二人の姉と私と、それぞれに作ったもの。
その一つ一つが、また大切な思い出に繋がってゆく。
セーターの大きさを見て貰おうと 二つに畳んで、隣には500mlのペットボトル さてとカメラを取り出せば 其処には、ちゃっかり座ったHuuが居る Huuはやや太り気味だが 4才の♀ネコ 小柄なネコちゃんとペットボトル これでセーターの大きさが、分かるかもね (^-^)v |
ぼんぼん人形 |
セーターを編むのが趣味だった頃がある。
その頃の残り毛糸で、なにか作りたいと始めたのがボンボン人形だった。
編み物をしていたのは20代後半から30代前半のこと
ボンボン人形はその後に作っていて、
思い出してみれば、かれこれ20年近くも前のことになるだろうか、
もう少し続けたかったが今は休憩中。
その休憩がやたらと長くなって、残り毛糸も、ぼんぼん人形用に仕入れた赤やオレンジの毛糸も
ずっと秘密の小部屋に入れたままになってしまった。
ずいぶん前に作ったボンボン人形達。
誰かに見て貰いたいのと、また一つの記録として、このページに残すことにした。
↑↓ 椿の精(正面と後ろ)
↓フクロウ達
↓ ボンボンお雛さま
↓ 三人官女
三人官女の中のべっぴんさん♪